ハンセン療養所(監禁室)・強制収容等の写真
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監禁室
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多磨全生園
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栗生楽泉園
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菊池恵楓園
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長島愛生園
大島青松園
強制的に収容された患者さんの中には、故郷を忘れ難く、園を抜け出す人もいた。
そのような患者さんが再び収容されると、各療養所に設けられた監禁室に監禁された。
監禁室跡の壁には、今も恨みを綴った文字を読みとることができる。恵楓園は今もその姿を見る事ができる。
昭和28年闘争
昭和28年の「らい予防法」の改悪には、全国の患者さんが立ち上がり、激烈な反対運動を展開した。
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座り込む患者を撤去しようと現れた白装束の職員
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厚生省前・参議院前にて座り込む患者さん
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厚生省前・参議院前にて座り込む患者さん
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大島青松園でハンストを決行する患者さん達
強制収容
本妙寺部落の患者さんを強制的に収容する熊本県警察。
トラックの周りにいる白い服の者らが警察や県の職員。このトラックで菊池恵楓園へと収容された。
包帯再生
強制労働として、患者さんの包帯を洗う作業があった。山積みに見えるのが包帯の山。
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子ども
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女性の患者さん
布団洗い作業
布団の中身を洗い、打ち直すのも患者作業であった。死亡した患者さんの布団は代々引き継がれた。
患者作業
患者さんの労働がなければ、療養所は成り立たなかった。
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裁縫作業
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園内の道路工事作業
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木工工事作業
大島青松園の水
全国に13ある療養所は、様々な僻地に設けられた。
例えば香川県の青松園は、海の孤島に設けられた。その為、水は井戸に頼るしかなく、患者さんが自ら井戸から汲み上げた。
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時間配水時に並ぶ患者さん達
大島の船
昭和初期、患者さんは船で引っ張られる「てんま船」で収容された。
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足下も危ない船着き場
火葬場・納骨堂
故郷からひきはがされた患者さんは、園内の火葬場で、患者さんによって焼かれ、園内の納骨堂に安置された。
菊池恵楓園に存在した火葬場