ハンセン病国賠訴訟 証拠調べ
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1998年(平成10年)7月30日、熊本地裁に13名の入所者が提訴しました。それ以来、他の集団訴訟では考えられないほどのスピードで訴訟は進行しています。
また、東京地裁、岡山地裁においても、訴訟が提起され、厚生省に対する包囲網は整いつつあります。
ここでは、熊本地裁における証人尋問など証拠調べを中心に、全国(東京・岡山)の裁判の情勢について、説明したいと思います。
熊本訴訟
大谷藤郎氏尋問(平成11年8月27日、10月8日)
元厚生省の医務局長であった大谷氏の尋問が実施されました。元患者の方々からも信望の厚い大谷氏は、訴訟においても、明確に国の責任に言及されました。
懲戒検束規定について
1916年、大正5年に療養所長に懲戒検束権が与えられていますね。この懲戒検束権については先生はどのようにお考えになられますか。
「どこへ行こうと自由であった人たちがそういうふうにされる、そこでやはり伝染病予防ということで・・・出てしまえばやっぱり危険だというような発想に出ますと、・・・・外へ出ていくのは逃走だということになってくるわけでありまして、そのための懲戒検束権というものを、・・・・・医者である所長さんがそういう人を拘束したり、それから減食、食事をあれしたり・・・・私はこれは日本の医療の歴史によっては非常に・・・恥ずかしいことであるなというふうに思っております。」(8月27日・166項)
強制収容について
「やっぱり本当に裁判も何もなしに患者さんがひどいリンチのような状態を受けておることが非常にはっきり書かれております。」(8月27日・198項)
「戦後もそういう強制的な連行をされている・・・・・・・それから自宅が、例えば食料品などを売っているにもかかわらず、吏員が来て真っ白に消毒されてしまって商売が、・・やっていけなくなった」(同・199項)
断種・堕胎について
断種堕胎が・・・・・・ハンセン病患者の隔離、絶滅政策の頂点をなすようなものではありませんか。
「自由の侵害と同時に、患者さんから未来を奪ってしまったということは、非常に大きな犯罪的な、非常に悲しい出来事であったと思います。・・・・この断種に対する屈辱感といのは、やっぱり、これは犬畜生、猫と同じに扱われたという、大変な、非常な屈辱感でったということはおっしゃっています。」(8月27日・218項)
昭和28年のらい予防法について
昭和28年のらい予防法ですが、・・制定自体、必要ないし、誤りだったということは言えますでしょうか。
「私はもっとほかの法律でよかったのではないかなというふうに思っております。・・・・・・そのころ患者さん方、回復者も含めて在所者の方々でも30歳代の方が多いわけでありまして、そういう意欲に燃えていた方々を地域社会に戻って活躍していただくためにも、その時点において、この法律の見直しが行われればよかったなと」(8月27日・342項)
外来診療制度のなかった点について
外来診療制度というものが整備されていなくて、健康保険の適用もないという状態がずっと続いたわけですが、その結果起こってきた人権侵害・・・ということで一番の問題はどういうことだと思われますか。
「結局患者さんが地域社会で自由に生きるということを拘束してしまうわけでございますね。同時に日本の場合は終生隔離という考え方で未来を奪ってしまうと、しかも結婚しても子供さんができないようにしてしまうと、つまり人間とは一体何だということになりますと、やっぱりどんな苦労をしておりましても、未来があればそれはそれなりに人は生きられるものでありますけれども、ハンセン病の療養所ではすべての患者さんに未来を奪ってしまったわけでありますね。これは一番の人権侵害であったと思います。」(10月8日・62項)
被害について
先生が考える患者さんのたちの一番大きな被害は何だというふうにお考えになられますか。
「患者さんが一番僕らに言われるのは、家族に迷惑を掛けたというような、そういう自分の病気によって、自分自身もおそらく絶望されたと思うんですけれども、やっぱり家族が辱めを受けるというような、社会の阻害、迫害というふうなものではないかと思います。」(10月8日・204項)
「(患者さんが、自分が生まれ育った地域社会で幸せに住みたいと、そういった思いもかなえられなかったということですか。)そうでしょうね。」(同・205項)
歴史的責任について
先生ご自身がやらなければいけないということの最大のものは、歴史的な責任を追及し続けるということで伺ってよろしいですか。
「個人個人の責任を考えていくということだと思いますよね。・・・・・・・・・そのあいだに自分は一体何をしたのかということについて医学者、政府関係者だけでなしに、政治の方々も、関係のマスコミの方々も、更に言えば法曹の方々も、この問題について自分はどれなりにどういう役割があったのかなということを考えてみる必要があるのではないかなと思っているわけでございます。・・・・」(10月8日・86項)
和泉眞蔵氏尋問(11年6月17日、同年12月17日)
ハンセン病療養所大島青松園の現役の医師であり、厚生省の医官である和泉氏は、そのお立場にもかかわらず、国の責任を鋭く批判された。
絶対隔離政策の弊害について
療養所に全ての患者を絶対隔離するということによる弊害は、どのようなものがあるのでしょうか。
「やはり一番大きいのは、患者自身の人生がめちゃくちゃになってしまうといことで、・・・・外来診察で十分治る患者まで無理に療養所に入れるということになって、損害が大きすぎるということです。・・・・もう一つはハンセン病は全て療養所で治療するんだということになってしまいますと(他の医師が)ハンセン病に対する関心を持たなくなって・・・・ハンセン病医学・医療が一般医療から隔離されてしまうという結果を生みます(6月17日・226項)
断種・堕胎について
断種や中絶が日本だけで行われたということについて、証人はどのようにお考えになられますか。
「すべての生き物が持っている自分の子孫を残したいという自然の摂理、あるいは要求を人為的に遮断するものです。そういうことですから、・・・やはり患者の人権のことを考えれば、取ってはならない政策でした。・・・・・・・・本来人間として守らなければならない尊厳とか、あるいはその家族の幸せですね、そういうものが療養所の中で、対策の中で否定されてしまったために、現在療養所の中で生活をさせられている日本の元ハンセン病患者というのは人間としての、例えば孫を可愛がる、あるいは子どもを愛するというふうなことがなくて、非常に孤独なよわいを重ねています。」(12月17日・46項)
患者作業について
患者作業のために、病状を悪化させたケースがありますか。
「世界のいろんな所でハンセン病の患者を見ていますけれども、日本の療養所ほど障害の強い患者というのはありません。・・・・患者さんに聞いてみると、大部分のところで作業によって病気を悪くしたというふうなことを言われておりますので、所内作業というのが、相当日本の患者さんの病状を悪くしたと思っています。(6月17日・37項)
国の主張に対して
国は「わが国のハンセン病対策は、原告主張のような絶対隔離主義ではなく、病毒伝播のおそれのあるもの、らいを伝染させるおそれのある患者を対象にしたものであり、運用にあったては、その時代の医学的知見に基づき弾力的なものであった」との国の見解について・・・どのようなお考えをお持ちですか。
「それはやはり絶対隔離の継続という方向に動きましたから、伝染性について判断をして、入れるか入れないかを決めるという時代というのは、日本の場合はなかったわけですね。特に1931年以降の無らい県運動というのを見ますと、これは一つの県からハンセン病の患者を一人も無くすということで進められたもので、ここでは全く伝染性があるかないかという配慮をしてないわけです。・・・・・・・・・・国がなぜこんな主張をするのかよく分からないんですけれども、何か意識的というか、あるいは意図的に事実をねじ曲げようとしているように私には映ります。」(12月17日・25項)
もし国が本当にそう考えていたんであれば、当然のことながら、伝染させるおそれのない患者や、伝染させる恐れのある期間がすぎてその恐れがなくなった患者に対する治療の道を制度化しなければなりませんが。
「そのとおりです。(しかし厚生省が一度でも外来あるいは入院治療を制度化するために動いたことは)全くなかったと思います。」(6月17日・269、270項)
こうしたことは、らい予防法の弾力的運用等で改善する可能な問題になるんでしょうか。
「この予防法の弾力的運用と厚生省が言っているのは、あくまで療養所の中の運営の問題でして、療養所以外の所で、ハンセン病医療を受けている人、あるいはハンセン病医療を進めている施設ないしは人にとっては、弾力的運用なんていうのは何の意味もないわけです。」(同271項)
証言に立つにあたって
先生のお立場で、原告側の要請を受けて、こういう証人に立たれるにあたっては、ずいぶんいろいろと悩まれたんではないかと思いますが、・・・
「研究費の大部分は国から来ていますし、現実には公務員として仕事をしながら国立の施設の中で研究を続けているわけですから、これが損なわれるあるいは停滞するというような結果を生みはしないかということを最初に心配したわけです。・・・・・万一(そういう状態が)起きたときには・・・・まあ苦労が多くなるかもしれないけれども、・・やはりハンセン病の専門家として、正しいことをきちんと証言しなければならないというふうに考えたわけです。」(6月17日・314項)