ハンセン病家族訴訟
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ハンセン病問題の残された課題~家族に対する差別
「らい予防法」が廃止されて3年後の1998年、ハンセン病違憲国賠訴訟が熊本地裁に提起されました。国の立法不作為等を問うという法的にはハードルが高いとも思われた訴訟でしたが、90年に及ぶ国の強制隔離・終生隔離政策による被害の重さが裁判所を動かしました。
2001年5月11日の熊本地裁の全面勝訴判決を受けて、当時の小泉総理大臣が控訴を断念しました。
そして政府による謝罪広告や国会両議院本会議における謝罪決議が行われるなど、ハンセン病を巡る問題は一定の解決に向かいました。
さらにハンセン病問題基本法が制定されたことによって、強制隔離した元患者の在園保障を確実にするため、医師・看護師・介護員の確保に向けての法的根拠も整備されました。
一方で残された大きな問題として「社会に残るハンセン病に対する偏見や家族に対する差別」があります。
90年に及ぶ国の強制隔離・終生隔離政策を許してきた要因としてこの偏見・差別を指摘することができるのです。
全国で展開された「無らい県運動」では、地域社会を構成する近隣住民、学校の教師、行政、そしてハンセン病元患者の家族でさえ元患者を隔離する一翼を担わされたのでした。
熊本地裁判決は、90年の隔離政策という歴史に対して国の責任がどこにあるかを明確に指摘し、その国の責任は確定しました。
ですがその国の違法政策によって、どのように「家族」に対する差別・偏見が助長していったのかという家族の被害に対しては判断が下されなかったのです。
家族訴訟の提起へ
その後、鳥取においてハンセン病元患者の家族がある裁判を起こしました。いわゆる鳥取事件です。
鳥取地裁判決は請求棄却でしたが、その理由中において「家族の被害は、患者本人の被害とは異なる固有の被害として認められる」、「国は遅くとも1960年には患者の子供に対する社会の偏見を排除する必要があったのに、相応の措置を取らなかった点で違法だった」という初判断を示しました。
そしてハンセン病元患者の遺族原告を中心に結成されていた「れんげ草の会」を中心に、国の責任を問う声が広がり始めます。
「ハンセン病患者の子であり、家族であったことを隠し続けて生きてきた」、「時に父を怨み、母を憎んで生きてきたこの苦難の人生を明らかにしたい」、「自分たち家族としての被害自体を国に認めさせたい」、「国に謝罪してもらいたい」との思いが共有され高まっていったのです。
こうした国から加害者呼ばわりされて来た家族として名誉回復を図りたいという切実な声こそが、ハンセン病家族訴訟を提起させたのでした。
写真出典:NHK NEWS WEB 「ハンセン病家族訴訟始まる」 2016年10月14日
2016年2月15日、原告59名が熊本地裁に提訴して家族訴訟が開始しました。同年3月29日には509名の原告が提訴し、原告は合計568名になっています。原告らは一人あたり500万円の損害賠償と謝罪広告を求めるものです。
ここでいう「家族」とは、父母、あるいは同居の親族がハンセン病に罹患したために、ハンセン病に対する偏見・差別のある社会の中で様々な苦労を背負わされた方々を言います。
なお追加提訴は2016年3月末でいったん終了しています。
ハンセン病違憲国賠訴訟において被告国が除斥期間を主張していたため、2001年熊本地裁判決は、「不法行為の終了はらい予防法を廃止した1996年であり、除斥期間はその時から開始する」と判断しました。
かかる除斥期間が正当であるかはさておき、除斥期間の論点に左右されて家族訴訟の意義が薄まることを回避するために、いったん2016年3月末ですべての提訴を終えたものになります(弁護団は今後の検討課題と指摘しています)。
ハンセン病家族訴訟の第1回弁論、そしてその願い
2016年10月14日、熊本地方裁判所において第1回口頭弁論が行われました。
原告団長の林力氏(福岡市・92歳)は、「国の隔離政策によって世間はハンセン病を恐ろしい伝染病と考えた。療養所に入った父のことを聞かれるたびに『死んだ』と答えるなど、私は父の存在から逃げて隠し続けて生きてきた」と語りました。
ハンセン病患者の「家族」に対する社会的な差別・偏見を明らかにして、国の責任の一方側に存在した「社会」の側の責任を明らかにすること。
それを通じて「家族」を被害から解き放ち、元患者との絆を回復すること。
これがハンセン病家族訴訟の願いなのです。
家族訴訟の経緯
現在ハンセン病家族訴訟は、熊本訴訟(熊本地方裁判所)と鳥取訴訟控訴審(広島高裁松江支部)が並行的に審理されています。
熊本訴訟は2018年1月17日に進行協議が行われ、鳥取訴訟控訴審は2018年4月24日についに結審します。