両陛下がイタイイタイ病資料館を初訪問、被害を語り継ぐ資料館の重要性
天皇、皇后両陛下が10月24日、富山県立イタイイタイ病資料館を訪問しました。
イタイイタイ病は、大正時代から中高年女性を中心に骨が脆くなる奇病として多発。四日市公害、新潟水俣病、熊本水俣病とともに日本の四大公害と言われています。
1968年、富山県神通川流域の住民が三井金属鉱業を被告として集団訴訟を提起。
1971年6月、富山地裁は、三井金属鉱業神岡工業所から排出される排水とイタイイタイ病との間の因果関係について、疫学的な観点から認定しました。
四大公害訴訟の中で最初の判決であり、公害訴訟、ひいては集団訴訟史上、画期的な判決と言われています(拙著「集団訴訟実務マニュアル」(日本評論社・222頁)。
両陛下はイタイイタイ病を時系列で紹介する展示を見て回り、約70カ所にわたり骨折した患者の写真に足を止めた。被害実態の判明や農地復元に時間を要したことについて、天皇陛下は「分かるまでずいぶん時間がかかったわけですね」と繰り返し口にしていた。
生存する認定患者が5人いるとの説明には、皇后さまは「痛みの中で生きておられるのですか」とたずね、治療が進んでいることを知ると「よかった」と安心した様子だった(10月24日付け朝日新聞)
このようにイタイタイ病は発生から40年以上が経過していますが、2012年4月29日に、富山県立として資料館が作られました。
来館者は10万人を超えるなど今もその被害を語り続けています。
今回の両陛下の訪問も関係者の努力でこのような資料館があったからこそ実現したもの。
現在薬害肝炎原告団を含む薬害被害者らが、厚生労働省に対して、薬害資料館の創設を求めていますが、改めて課題の意義を感じます。
同様に行政が創設した資料館としては、水俣市立水俣病資料館があります。水俣病資料館は1993年1月以来、92万人を超える来館者を数えます。
被害を語り継ぎ、次の世代での再発防止に役立てるためにも、資料を収集した「場」がどうしても必要になります。
薬害は国の薬事行政によって全国に被害者がいるわけですから、地方自治体による対応は困難。やはり国・厚生労働省が主体的に取り組みべき課題であることは明らかだと思います。
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