異議、キャリアの喪失、そして実名公表へ
昨日7月6日の薬害肝炎九州訴訟第16回期日には、たくさんの方々にお集まり頂きありがとうございました。雨を覚悟していましたが、恒例の裁判所前集会では晴れ間ものぞきました。熊本患者会の浦田さんの「患者のために皆さんのがんばりを期待しています」、九州肝臓友の会の木戸さんの「本日証言される患者さんは、いつも通りに話してください。それで十分被害が伝わりますから」とのあいさつに大きな拍手が響きました。恒例の弁護団・原告団そして支援者の方々一緒の入廷には長蛇の列が続きます。フラッシュライトを浴びる中、福岡地方裁判所に入廷しました。
午前中の尋問は、原告番号7番さん。沖縄在住の原告です。福岡と沖縄という距離のため、担当の田中弁護士との打ち合わせが大変だったようですが、ぶじ被害を語り終えました。長女出産時にフィブリノゲンを投与されたこと、急性症状が出て入院したこと、搾乳したお乳を子どもにあげられずに、自分で洗面所に捨てに行っていたこと、子どものおむつをかえるときに他のこどもとは異なるバケツに捨てるように言われたこと、沖縄の本土復帰直後という就職難の時代に金融機関に就職できて16年のキャリアを摘んでいたこと、肝炎感染によってそのキャリアを捨てざるを得なかったことなどを切々と語りました。
お昼休みは支援者、原告、弁護団一緒に弁護士会館でお弁当をつつきます。弁当を食べ終えた学生さんは裁判所前の道路でビラ配りを実施。たくさんの通行人がビラを受け取ってくださいました。
午後の尋問は、原告番号12番さんにフィブリノゲンを投与した病院の医師の尋問。カルテが存在しないために、投薬証明書の真正を確認するという立証趣旨にて、被告側が申請し採用された医師でした。原告主尋問において、医師は、当時存在した医療記録に基づいて投薬証明書を記入したことを明確に証言。ところがその後の反対尋問では、被告側が立証趣旨を逸脱した尋問を繰り返すために、原告側が繰り返し異議を出し、そのたびに裁判所が異議を認めます。国の代理人がまたもや「原告側が尋問を途中でとめるから」などと発言したため、裁判長から「正式な異議ですからそのような発言はしないように」とたしなめられる一幕も。
引き続いて12番さんの尋問。12番さんはアメリカ在住ですが、日本で小学校教師をしていた時の交通事故でフィブリノゲンを投与され感染した方。
感染後、体調がおかしくなったこと、日本での教職を断念せざるを得なかったこと、アメリカに渡って優等な成績で博士課程を履修したこと、ところが体調が悪いために論文をなかなか書けなかったこと、国民皆保険でないアメリカでは保険を購入しないといけず経済的負担が大きかったこと、年齢に関係なく実力さえあれば地位を築けるアメリカで、「肝炎」という弱みを大学に申告せざるを得なかったことなどを証言されました。「私は肝炎で2度キャリアを失いました。それが悔しくてなりません」
12番さんは、アメリカ人のご主人と来日しており、証言後の報告集会で実名公表を決意しました。手島妙子さんとして今後は活動していきます。これで全国89名の原告中、実名公表原告は9名、うち九州訴訟では5人目の実名公表となりました。手島さんはご主人とともに懇親会にも出席され、学生や支援者の方々と交流を深められました。
全国に先駆けて開始した九州訴訟における原告本人尋問も残すところ、8月3日、9月7日の2期日のみ。最後のラストスパートにご支援をよろしくお願いします。
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