ハンセン病療養所恵楓園「監禁室」が補修へ、厚労省が現地調査を実施
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ハンセン病療養所の「監禁室」が補修へ
ハンセン病療養所の菊池恵楓園の「監禁室」が補修されることになり、厚生労働省が2015年7月21日、現地調査を実施しました。
2015年秋には着工して2016年3月には補修を終える予定です。
厚労省が2015年度から3年計画でハンセン病療養所の歴史的建造物6施設を補修することを決めたことの一環です。
2015年度は事業費7784万円を計上して、恵楓園の監禁室とともに長島愛生園(岡山県)の収容所「回春寮」も補修される予定になっています。
私はらい予防法違憲国賠訴訟における裁判所の検証にあたり、責任者として検証ルートを策定するとともに指示説明書を作成しました。
この検証での目玉がやはりハンセン病患者の懲罰のために設けられた監禁室でした。
監禁室の木の壁からは、収容された患者が彫った書き込みなどを読みとることができました。
その圧倒される存在感に立ち会った裁判官もただ押し黙るだけであり、翌日の地元紙の検証を伝える紙面にも監禁室に入る裁判官の写真が掲載されました。
1916年(大正5年)、法律第21号、らい予防法・同施行規則が改正され、第4条2項において「療養所長に入所患者に対する懲戒検束権を与えるとともに、各療養所に悪質患者を収容するための監房を設置する」こととされた。
裁判を行わずに患者を処罰するという、患者の人権を無視した規定である。これは全国の療養所において恣意的な運用がなされたが、恵楓園も例外ではなかった。菊池恵楓園にも、1917年(大正6年)に監禁室が設置された。強制的に故郷から引き剥がされた収容者の中からは、逃走者が後を絶たなかった。逃走者が巡視に捕まった場合は、当然数日間の監禁室入りとされた。
また、園内で園長ほか施設側の人間に従わない場合は、それがいかに理不尽なものであっても、やはり監禁室入りとなった。事実、恵楓園の監禁室内部の木壁にも、監禁室に入れられた収容者の苦痛・恨みをつづった書き込みが残っていたが、最近、園当局により白いペンキで塗りつぶされてしまった。
「悲しい」という文字や、監禁された日々を指折り数える書き込みなどがはっきりと読みとることができた。今も目を凝らすと「昭和5年 逃走犯スニヨリ監禁7日ヲ命ズ アア思ヘバ長キ日ヨ 我ハ罪ナレド泣キテ晴レノ日ヲ待ツ」などの生々しい書き込みを読みとることができる(「検証指示説明書」より)
検証当時からかなり老朽化しており取り壊すという話が出ては消えていましたが、今回、正式に補修が決まったものになります。
全国13のハンセン病療養所の永久保存への第一歩ということができるでしょう。
調査したのは各療養所に残る歴史的建造物の保存に関する検討会のメンバーら3人。恵楓園入所者自治会の志村康会長(82)らの説明を聞きながら、建物の傷み具合などを調べた。補修工事は本年度内の完了を目指す。
調査を終えた東京工業大の藤岡洋保・名誉教授(近代建築史)は「柱の傷みなど構造的な問題があり、追加調査が必要」と説明。鮎京眞知子弁護士は「監禁室に入れられた人の証言や資料をまとめ、補修に反映させたい」と述べた。(7月20日付け熊日新聞)
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