九大・先輩から後輩への手紙
先日の薬害肝炎九州期日の朝、恒例の裁判所前集会が行われました。「裁判所前」といいますが、正式には、裁判所正門前の坂道での集会。東京や大阪では裁判所前での集会は行えませんが、福岡では伝統的に、この坂での集会は許されています。例えば、薬害スモン訴訟で福岡地裁勝訴判決が下された時も、この坂で集会が行われたようで、当時の写真が残されています。
そのスモン訴訟を勝ち抜いた、「福岡スモンの会」も、この訴訟を支援し、毎回傍聴に来てくださっています。先日の裁判所前集会においても、福岡スモンの会から前田さんがマイクを通して支援の声を上げてくださいました。
前田さんは九州大学出身。九州大学の学生の会のがんばりを目にして、以下のような文書を九州大学法学部東京同窓会誌にお寄せいただいたそうです。前田さんのご了解を得て、一部抜粋をご紹介します。
福岡地裁301号大法廷、訴えられたわけでもなく、訴えたわけでもないのに、僕は15年の秋以来ここに通っている。・・僕が傍聴しているのは薬害肝炎九州訴訟である。この裁判では若い学生の傍聴人が多いことが目立つ。中心になっているのは、九大法学部の学生たちである。・・・・
僕がなぜこの裁判の傍聴に出かけているかというと、実は父親がキノホルムという整腸剤による薬害スモン病の患者だったからだ。教師一筋で生きてきた父親が、そろそろ仕事を離れてのんびりしようとしていた64歳のとkり、腹具合を悪くして医院で処方されたキノホルムを服用し、あっという間に下半身麻痺、完全失明の寝たきり老人になってしまった。
なにしろ目が見えず寝返りもできずに仰臥したままだから、父の傍には誰かが四六時中いなくてはならない。母親は年をとり、同居していた弟夫婦は肉体的・精神的に疲れ果てて25年でギブアップ。後を引き受けざるを得なかった僕は58歳で東京の仕事を辞め、夫婦ととt無職になって博多に戻った。われわれ夫婦が介護をしたのは3年間。父は自宅で寝たきり28年で生涯を終えた。・・・
昔のこういう裁判では「闘争」というイメージがつきまとって悲壮感まで漂っていたが、この裁判ではそんな感じはない。学生たちも「薬害肝炎」のホームページをたちあげたり、ロゴ入りのTシャツを作ってユニホームのように着用したり、支援活動を愉しみながら行っているような感さえする。
それにしても貴兄たちの後輩である九大法学部の学生たちは、感心するほどまじめに熱心に行動しています。
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