日本医学ジャーナリスト協会賞大賞が発表、NHK「僕は忘れない ~瀬戸内 ハンセン病療養所の島~」
2014年の「日本医学ジャーナリスト協会賞」の大賞(映像部門)に、NHK猪瀬美樹ディレクターのETV特集「僕は忘れない ~瀬戸内 ハンセン病療養所の島~」が選ばれました。
目次
日本医学ジャーナリスト協会賞とは
日本医学ジャーナリスト協会賞は、協会設立25周年を記念して2012年に創設されたもので2014年で3年目。
日本医学ジャーナリスト協会は1987年、医学・医療・福祉分野の報道に関心を持つジャーナリスト有志が発足した団体です。
1990年に「医学ジャーナリズム研究会」、1994年に「医学ジャーナリスト協会」と名称を変更した後、そして2006年からはNPO法人「日本医学ジャーナリスト協会」として活動しています。
歴代の日本医学ジャーナリスト協会賞の受賞作品
この日本医学ジャーナリズム協会が、質の高い医学・医療ジャーナリズムが日本に根付くことを願って創設したのが「日本医学ジャーナリスト協会賞」になります。
「オリジナリティ」、「社会へのインパクト」、「科学性」、「表現力」を選考基準に作品を選んでいるものです。
毎年、非常に社会的関心の高い分野からも選ばれています。
一部をアットランダムに抜粋して紹介します(なお日本医学ジャーナリスト協会のサイトでは過去に受賞した全作品が解説とともに紹介されています)。
2023年度大賞 「ゆりかご15年 いのちの場所」と一連の報道(熊本日日新聞社「ゆりかご15年」取材班
2022年度大賞 「生殖技術と親になること 不妊治療と出生前検査がもたらす葛藤」(柘植あづみ・みすず書房)
2021年度大賞 「筋委縮性側索硬化症(ALS)患者嘱託殺人事件を巡る一覧の報道」(京都新聞社)
2020年度第9回大賞 調査報道「呼吸器事件」~連絡・西山美香さんの手紙~の新聞報道(中日新聞呼吸器事件取材班 代表・秦 融 編集委員)
2019年度第8回優秀賞 NHKプロフェッショナル仕事の流儀「医療事故をなくせ、信念の歩み~医師・長尾能雅~」(NHK 制作局第2制作ユニット ディレクター 大野兼司)
2018年度第7回優秀賞 『医療ルネサンス「いのちの値段」』(読売新聞東京本社 医療部「いのちの値段」取材班)
2017年度第6回大賞 『赤い罠 ディオバン臨床研究不正事件』(日本医事新報社)(循環器内科医 桑島巖・臨床研究適正評価教育機構理事長)
2016年度第5回大賞 『語り継ぐハンセン病 瀬戸内3園から』(阿部光希、平田桂三・山陽新聞社編集局報道部記者)
2015年度第4回大賞 『新薬の罠 子宮頸がん、認知症…10兆円の闇』(文藝春秋)(鳥集徹・ジャーナリスト)
2015年度第4回大賞 NHK ETV 特集「薬禍の歳月~サリドマイド事件50年~」(石原大史・日本放送協会 制作局第1制作センターディレクター)
2013年度第2回大賞 降圧剤「バルサルタン」の臨床試験をめぐる疑惑に関する一連の報道(毎日新聞社科学環境部 河内敏康、八田浩輔)
2012年度第1回大賞 『終章を生きる 2025年超高齢社会』(下野新聞 2025年問題取材班)
「僕は忘れない ~瀬戸内 ハンセン病療養所の島~」
猪瀬美樹氏は長年にわたってハンセン病問題を取材している方です。
以前にもドキュメンタリー「忘れないで ~瀬戸内 ハンセン病療養所の島~」で、2008年度児童福祉文化賞を受賞していました。最近でも「子宮頸がんワクチン問題」など様々な医療問題について取材しています。
2014年大賞に選ばれた作品も香川県のハンセン病療養所大島青松園を舞台にしたもの。島全体がハンセン病療養所という国の強制隔離政策を象徴する場所です。
学生を案内役として、日本のハンセン病の100年を超える歴史を語り継ぐという構成力が評価されています。
ハンセン病違憲国賠訴訟で私が訪問した際も色々とお世話になった入所者山本隆久さんが登場しています。昨年12月に放映された番組ですが再放送の機会を楽しみに待ちたいと思います。
香川県高松市。瀬戸内海に浮かぶ小さな島の療養所(国立療養所大島青松園)に、ハンセン病の元患者80人が暮らしています(2013年10月現在)。平均年齢81歳。国の誤った政策により故郷や家族から引き離され、病気が完治した後も隔離され続けた人たちです。入所者の多くは家族を差別や偏見から守るため、本名を捨て偽名を名乗ってきました。子どもをつくることは許されず、断種や堕胎が行われていました。国が過ちを認め謝罪したのは2001年。しかしその後も入所者たちは故郷に帰ることができず、この島で齢(よわい)を重ねてきました。島の納骨堂で眠る遺骨は2000を超え、今も毎年増え続けています。
やがて誰もいなくなってしまうハンセン病療養所。その“記憶”を受け継ごうと決意した青年がいます。吉田昂生(こうせい)さん、18歳。母親が療養所の介護員として働いていたため、小学校の6年間をこの島で暮らしました。入所者のお年寄りにかわいがられ、この島を自分の故郷と感じてきた昂生さん。卒業後もたびたび島に通い、島外から来た人を案内する『大島案内』のボランティア活動を続けてきました。
その昂生さんが最も尊敬する入所者の一人が、山本隆久さん(80歳)です。陶芸家としても知られる山本さんは“島の土”を使って作品を作り続けています。自分が隔離されたこの島の土をあえて使うことで、人間としての尊厳を取り戻そうとしてきたのです。
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・特定非営利活動法人 日本医学ジャーナリスト協会
・過去の日本医学ジャーナリスト協会賞