水俣病判決元裁判長が認定基準を批判、最新の知見を取り入れるべき
水俣病関西訴訟最高裁判決から10年が経ち、大阪では10周年集会も開催されました。
「水俣病関西訴訟」とは、不知火海沿岸から関西に移住した未認定患者が提起したもので、1995年の政治決着後の2001年に大阪高裁判決が、国の認定基準に依拠せず、感覚障害のみで水俣病と認定し、最高裁も国と熊本県の責任を認めた事件です。
2004年10月の最高裁判決から10年を迎え、大阪高裁の元裁判長岡部崇明氏が新聞社の取材に応じています。
「判決が全て」として退官後も、自らの判決内容には触れない人が多いですが、なかなか本音の垣間見える内容です。
水俣病訴訟に関しては、水俣病第3次訴訟第1陣の控訴審において、裁判長として和解勧告を行った友納治夫氏も、退官後、踏み込んだ発言をしています。
「その後の最高裁判決で、一定の限度においてですが、国や熊本県の国賠法上の責任が肯定されており、仮に、将来、同種の訴訟事件で裁判所が和解勧告をすることがあるとすれば、従前よりも踏み込んだスタンスで臨むことができるのではないかと考えております」(拙著「集団訴訟実務マニュアル」日本評論社・73頁)。
根深い問題を垣間見た判断権者として一言言っておきたいという気持ちになるのが、水俣病問題なのかもしれません。
・・判決後も見直されない水俣病認定基準について「40年近くも同じ基準を使っている。最新の知見を取り入れるべきだ」と指摘した。
岡部元裁判長は判決の考え方について「認定基準だけで判断することに違和感を感じていた。水俣病被害はそれだけでは済まないという考えが根底にあった」と振り返った・・
・・最高裁で確定した水俣病発生・拡大の行政責任については「遅かれ早かれ行政責任は認められると思っていた。(チッソの工場排水に)気付かなかったで済む話ではない」と述べた(10月15日付け熊本日日新聞)
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