薬被連の歩み、薬害被害者の願いを
戦後綿々と日本で続く薬害。
その負の連鎖を被害者の視点から止めようと立ち上がったのが、薬被連(全国薬害被害者団体連絡協議会)になります。
加盟団体は、薬害肝炎全国原告団のほか、サリドマイド、スモン、ヤコブ、HIV、MMR、陣痛促進剤、薬害筋短縮症、イレッサ、薬害HPVワクチン。
1999年8月24日、薬害エイズ事件の反省をふまえ、そして薬害の再発防止を決意すべく厚生労働省の正面左手に「薬害根絶の碑」が建立されました。
この年の10月22日、薬被連が立ち上がります。
翌2000年から毎年8月24日を「薬害根絶デー」と位置付けて、薬被連が厚生労働省や文部科学省と交渉を行なうようになりました。
この行動に合わせて、各弁護団、支援者らが厚生労働省前に結集し、連帯を深めるとともに、薬害防止をアピールするわけです。
薬害肝炎全国原告団弁護団も、解決までの大きな運動の一つとして、この薬害根絶デーを位置づけてきました。
例えば2002年の提訴から2年目の2004年には、薬害根絶デーに合わせて、「薬害肝炎訴訟を支える全国学生の会」が立ち上がりました。
また大阪判決、九州判決、東京判決に続いて、名古屋の全面勝訴判決が下された2007年。
それでも当時の柳沢厚生労働大臣は、原告団との面会を拒否して解決に踏み出しませんでした。この年の薬害根絶デーには、薬害肝炎全国原告団代表の山口美智子さんが出席し、厚生労働省の碑の前で、柳沢厚生労働大臣に対して直接要請行動を行いました。
山口さんは、柳沢大臣の顔を直接見据えた上で、「東京判決後の座り込み、そして先日の官邸前行動においても、柳沢大臣はわれわれ原告団と面会しようとされませんでした。本日このような形でお会いすることになりましたが、薬害肝炎問題の早期解決をぜひお願いするとともに、その回答を直接お聞きしたいと思います」と毅然と要請する一こまもありました。
過去には以下のように大臣が直接対応しています。
2003年 坂口大臣 2004年 坂口大臣
2005年 尾辻大臣 2006年 川崎大臣
2007年 柳澤大臣 2008年 舛添大臣
2017年夏の薬害根絶デーは薬害HPVワクチン(子宮頸がんワクチン)問題を取り上げました。
各団体が集結して薬害防止の取り組みを政府に求めますが、厚生労働大臣にはより真摯な対応を期待したいと思います。
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