「母は闘う 薬害肝炎訴訟原告 山口美智子の20年」がRKB毎日放送Youtubeにアップ
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母は闘う 薬害肝炎訴訟原告 山口美智子の20年
「母は闘う 薬害肝炎訴訟原告 山口美智子の20年」がRKB毎日放送Youtubeにアップされました。文化庁芸術祭テレビ部門優秀賞を受賞した作品です。
ディレクターの大村由紀子記者は2002年の薬害肝炎提訴当時から熱心に取材してくれた記者です。
「これからの講演・勉強会などにぜひご活用ください」と言うことです
山口さんの被害を横軸に、裁判などの流れを縦軸に絡めながらダイナミックにまとめられています。46分ありますので、ここでは縦軸の裁判の流れを解説しつつご紹介しましょう。
福岡地裁提訴(7分19秒)
2003年4月、薬害肝炎九州原告団弁護団は福岡地裁に提訴しました。その裁判所前での集会の映像、入廷するシーンが流れます。
支援者、学生さんなど懐かしい顔が写っています。
ちなみに六本松の九大跡地に移転する前の福岡地裁です。
福岡地裁判決(17分28秒)
全国弁護団は3年解決を目標に、五地裁判決を揃えて、国に全面解決を求めていく方針を立てました。
2005年8月の福岡地裁判決は大阪に続いて二つ目の判決。
大阪地裁の救済範囲をさらに広げられるかがポイントでした。
総理官邸前行動(21分)
三つ目の東京地裁判決も国・企業の責任は認めたものの、救済範囲は限定的でした。
そこで全国原告団弁護団は2007年6月、総理官邸前での行動を行い解決を求めました。
全面勝訴の名古屋判決、そして仙台判決(22分36秒)
名古屋地裁は全面勝訴判決となりましたが、最後の仙台判決は企業責任を認めるものの、国の責任を認めない判決。
このように五つの判決がばらけて、かえって司法救済の限界を際立たせ、政治による決断が強く求められていきました。
突破口、418リストの公表(23分58秒)
2006年秋、418リストが公表されました。
これは1988年頃、フィブリノゲン製剤による集団感染が発覚した際、国が企業から集めていた感染者418人のリストです。
国は感染者に告知せずに20年以上、放置していたことが発覚し、世論も大きく動きました。
大阪地裁の和解勧告(34分44秒)
舛添厚労大臣が年内に肝炎対策を取りまとめることを表明し、福田総理も国に責任がないというわけにはいかないというコメントを出します。
そういう中、大阪高裁も2007年11月7日、和解勧告を出しますが、救済範囲は限界があり、より一層の政治決断が求められていきます。
全面救済の政治決断(41分53秒)
そして2007年12月、福田総理が線引きしない全面解決を表明して、薬害肝炎救済法が2008年1月に成立し、各高裁や地裁でも和解が成立したのです。
薬害肝炎救済法は5年の時限立法ですが、その後3回改正され、現在も被害者救済が進められています。
今後の活動での活用
今見返してみても、山口さんの思いや行動から当時の様子が生き生きと蘇ってきます、
私もこれからの講演などに利用していきたいと思います。まずは20244月の九州原告団総会で上映する予定です。
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