薬害肝炎九州訴訟・山口地裁第1回期日「原告意見陳述」、「弁護士意見陳述」
目次
薬害肝炎全国弁護団とは
薬害肝炎全国弁護団は2002年から2017年の現在に至るまで一つの弁護団として活動しています。福岡、東京、大阪、名古屋、仙台の5地域に弁護団がありますが、全国弁護団の支部という位置づけ。
九州弁護団は、九州・沖縄・山口が担当地域です。基本的に福岡地方裁判所に提訴していますが、山口の被害者については山口地裁に提訴しました。
ここでは2010年8月4日、山口地裁本庁で行われた「第1回口頭弁論期日」について報告します。
九州弁護団が山口地裁に提訴
薬害肝炎九州弁護団の支部である山口弁護団が、医療機関に保存されていたカルテから被害者住所を調査して、2010年5月14日、山口地方裁判所に初提訴していたものです。
山口県下の被害者は、既に17名が福岡地方裁判所に提訴し全員和解成立しています。ようやく18人目の提訴になります(九州訴訟ではこの1名を入れて329名。2017年3月時点では373名)。
まず午後3時10分に弁護団・原告団が山口地裁正面に入廷行動。その後3時20分から山口地裁新館法廷で写真撮影の後、第1回期日が開催されました。
裁判長は冒頭で、「後に原告の意見陳述を予定しておりますので、遮蔽の措置を取った上で、審理を行います」と宣言して、訴状・答弁書を陳述。その後、原告と弁護士の意見陳述を行いましたのでご紹介します。
原告意見陳述
まず原告番号1番さんが意見陳述を行いました。
昭和46年に息子を出産したときに,フィブリノゲンを投与され,C型肝炎に感染しましたが,自分がC型肝炎に感染していることを知ったのは平成8年のことでした。
出産後,働いていて,体がきついこともありましたが,そのころはC型肝炎に感染していることなど分かりませんでしたので,「みんなきついのだから,自分に負けてはいけない」と思って頑張っていました。
平成8年頃,体の疲れをひどく感じるようになり,食欲が落ち,75キロあった体重が65キロにまで落ちていました。息子や娘たちが,「ひょっとしたら死ぬんじゃないか」と心配し始めました。そこで,その年の10月頃,近くの病院に行って血液検査を受けました。
それからしばらくして,この先何かあったら子どもたちに迷惑をかけてしまうので,生命保険にでも入っておこうと思い,同じ病院に保険加入のための書類を書いてもらうようお願いしました。
すると,あくる日,先生から,電話があり,「保険には入れないよ。C型肝炎なので。」と言われ,始めてC型肝炎の感染を知りました。
2 C型肝炎によって奪われたもの
そのときに,医師から,C型肝炎が肝ガンになりやすいということも聞きました。
そして,保険に入れないということは,この先入院や手術を受ける際に、結局,子どもたちに迷惑をかけてしまうことになります。そんなことを考えると目の前が真っ暗になりました。
保険に入れない話を息子にした際,息子にもC型肝炎のことを話しました。
しばらくして,「母ちゃん、仕事は辞めてくれ。俺が母ちゃんを守るから。給料を全部家に入れる。元気で明るくしている母ちゃんが一番だ。」と言いました。
自分がもしも倒れたら,息子に迷惑をかけてしまい大変なことになると思い,その当時は,息子の言葉に従うしかありませんでした。
当時,息子には、4~5年つきあっていて結婚を考えていた彼女がいて,家にもよく連れてきていました。しばらくしたある日,息子は,「彼女のお母さんからお金のことを言われた。」と言いました。そしてその後間もなく,「別れたけ。」と言いました。
その言葉だけでしたが,自分のせいで息子の結婚がだめになってしまったということが分かりました。親を支えれば,自分たちの生活が成り立たなくなります。
25歳という若さで,自分の稼いだ給料で病気の母親を支えるという選択をせざるを得ず,自らの結婚も諦めざるを得なかった息子のことを考えると,胸が締め付けられます。
それと,この子が一番気にしていることは,自分が生まれたときに親がC型肝炎に感染してしまったことだと思います。
以来,14年間,息子は,何も言わずに,給料を全部家に入れて,私の生活を支えてくれています。給料がいつもより少ないときは、「今月給料少なくてごめんね。」と言ってきます。
「母ちゃんのせいできつかろ。ごめんね。」と言うと、何も言わずに、「俺はこのままでいいから母ちゃん無理せんで。」と答えます。
「お母さんのせいで」と文句一つ言わずに,一生懸命支えてくれている息子の前で,涙を見せてはいけないと思い,昼間はいろんな人と話して明るく振る舞っています。でも,夜、ふと目が覚めると、私自身の今後のこともそうですが、何より、39歳になっても結婚せずに、「俺はこのままでいいから。」と呟く息子の人生を思うと、涙が止まらなくなります。
息子に支えられる生活が始まって14年がたちますが,病気のせいで息子の人生を犠牲にしてしまい,息子の失われた時間を取り戻すことはできません。
自分の描いた人生を歩けない息子に申し訳なくて,これまで,息子に,「家から出てっていいよ。」と言ったこともありますが,「そげなあことはできまあ。(そんなことはできない)」と言ったきり何も言わずにいつものように給料を家に入れてくれました。
そんな息子をどうすることもできない自分自身が情けなくて,涙が止まりませんでした。
昨年の秋頃、山口県の弁護団の方から、息子を出産したときにフィブリノゲンが投与されたことが書かれた記録のことと、これが私のことではないかという問い合わせをいただき、フィブリノゲンが投与されていたことを知りました。そして,裁判をする機会を与えられました。
今日,この場に立つことについて,家族に迷惑がかからないか,地域で今までどおり生活していけるかなど,今後のことをいろいろと考えて眠れませんでした。
でも,私が救済を受けることができても,息子の失われた時間が戻ることはありませんが,せめて,息子に自分の人生を切り開く希望を持って欲しいと思い,今日,この場に立って意見を述べることを決意しました。
3 治療への一歩が踏み出せない現状
医師から,半年に1回は受診するように言われていますので,半年に1回,血液検査とエコー検査を受けています。
昨年、医師から、「インターフェロンで治ることもあるんよ。」と言われたことがあります。インターフェロン治療も、完全に治る保証はありません。
C型肝炎になっている友人がたくさんいますが、全員が助かっているわけではありません。それなのに、息子の大事な給料から治療費を1円でも支出する気になれません。
でも,救済を受けることができれば,「インターフェロン治療を受けて1日でも長生きしたい」という自分の気持ちに素直に向き合うことができると思います。
4 最後に
38年もの間,私の受けた薬害は放置されてきましたが,昨年の秋,山口県の弁護団の方から連絡をいただき,弁護団の皆様のおかげで,今日この場に立つ機会を与えられました。
しかし,山口県には,私のほかにも,同じ病で苦しみながら,原因が分からないまま,声を上げることさえできずにいる人がまだたくさんいます。
国や製薬企業の方たちに,この方たちの無念な気持ちを,決して忘れて欲しくありません。国や製薬企業は,私と同じように,被害者であることを知らないまま病気を抱えて一人悩み苦しんでいる多くの被害者に対し,自ら手を差し伸べる義務があると思います。
それが,被害を放置してきた者に課される責務であると,私は思います。
弁護士意見陳述
原告意見陳述に続いて、山口弁護団事務局長の鶴弁護士が意見陳述を行いました。
それ以来、東京地裁・大阪地裁・福岡地裁・名古屋地裁・仙台地裁という5つの裁判所で審理され、責任時期は分かれたものの5つの勝訴判決が下されました。
薬害肝炎全国原告団弁護団は、この5つの勝訴判決を手に全面解決を求め、当時の政府が2007(平成19)年12月、裁判解決のために特別法を設置する政治決断を行いました。
本裁判は、こうして2008(平成20)年1月に成立施行された「特定フィブリノゲン製剤及び特定血液凝固第Ⅸ因子製剤によるC型肝炎感染被害者を救済するための給付金の支給に関する特別措置法」(以下「救済法」)による支給の前提として、薬害肝炎被害者が国を被告として損害賠償請求を求めるものです。2 対策本部の設置等
救済法の施行後、山口県弁護士会へは、救済法による支給金の受給が可能かどうかを問い合わせる電話が殺到しました。そのため、弁護士会では、対策本部を設置して被害者からの問い合わせに対応するとともに、会員有志が、具体的な提訴を担当するため、薬害肝炎九州弁護団の支部としての弁護団を結成しました。
そして、対策本部は、特定フィブリノゲン製剤等の納入実績のある山口県内の医療機関に対して、残存しているカルテ等において、特定フィブリノゲン製剤等の投与の事実が記載されたカルテ等がないかどうかの確認を求め、そうした記載のあるカルテ等があれば、その対象者に連絡することを求めました。3 受給対象者の発見
この要請を受けた山口市内の産婦人科から、対策本部に対して、昨年来、分娩記録によってフィブリノゲンの投与が確認できる8人の情報が伝えられました。その分娩記録には、お産した女性の名前と生年月日しか記載されておらず、住所の記載がありませんでしたが、対策本部において、何とか住所を突き止め、お産した女性と連絡を採ることができました。それが正に本件訴訟の原告です。4 原告の提訴決断について
本件訴訟の原告は、山口市内に住む現在61歳の女性です。昭和46年に山口市内の産婦人科で長男を出産した際、多量の出血のため、止血剤としてフィブリノゲン製剤を使用され、C型肝炎に罹患した方です。
私が初めて原告と面談した際、本人は、提訴について、非常に慎重でした。「時間がかかるのではないですか。裁判を起こすなんて仰々しいです。周囲の人に知られたくないです。そもそも私は病気だとは思いたくないのです。C型肝炎で苦しんでいる人は他にもたくさんいます。カルテ等が残っていないために受給できない人もいると聞きますが、そうした人達に申し訳ない気がします。」などと言いました。
当職は、こうした被害者の微妙な心理に触れ、一層強く、国による十分な薬害被害の救済の必要性を確信しました。5 山口地裁初提訴の意義
実は、山口県在住の被害者の中には、既に福岡地方裁判所に提訴した方が17人います。ただ、山口県の人口規模からするとその数は少なすぎるのです。つまり、薬害被害者であることを証明できる方のうち、かなりの人が放置されたままでいることが推測されます。
そのような方が、山口地裁での審理やマスコミ報道を通じて、本件訴訟を知り、薬害肝炎山口弁護団原告団とともに、薬害肝炎救済の運動の輪を拡げていくことに、正に、山口地裁初提訴の重要な意義があります。6 今後の課題と裁判所の役割
本件の原告に関しては、フィブリノゲンの投与を示す当時の分娩記録が残っていました。
しかし、肝炎ウイルスが混入したフィブリノゲン投与の時期は、1964年から1994年までという数十年前のことであり、その投与を示すカルテ等の医療記録が残されている事例は多くはありません。そのため、関係者の証言によって、投与の事実を立証することが必要となるケースも出てきます。
実は、この点は、救済法成立の際にも問題とされ、衆議院の附帯決議において、「投与の事実、因果関係及び症状の認否にあたっては、カルテのみを根拠とすることなく、手術記録、投薬指示書等の書面又は医師、看護師、薬剤師等による投与事実の証明又は本人、家族等による記録、証言等も考慮すること」とが求められています。
即ち、カルテという書証はおろか、医師等の医療従事者の証言だけを絶対的な要件とするものではなく、本人、家族等による記録、証言等も考慮して、投与の事実等を認否することを求めているのです。それは、正に、立法府が司法に対して、自由心証主義の徹底を求める異例の注文といえるでしょう。それは、今までの訴訟実務が、書面の証拠を過度に重視しているのではないかという懸念を示すものといえなくもありません。
このように、救済法施行により、被害者救済のため裁判所が果たすべき役割が、益々、大きくなったことを確認し、裁判所による適正、迅速な被害救済を求め、本件裁判における弁護団の意見とします。
以上
その後、山口地域からの提訴者数は増えませんでしたが、山口原告から原告団活動を熱心に行う原告が出るとともに、山口地域で総会を行う場合には鶴弁護士に尽力頂いて専門医の医療講演会を行うなど、山口提訴の成果が出ているといえるでしょう。