「集団訴訟実務マニュアル」を出版、薬害肝炎・エイズ・ハンセンの経験から
目次
集団訴訟実務マニュアルを出版
「集団訴訟実務マニュアル」古賀克重著(日本評論社)を2009年8月18日に出版しました。
各集団訴訟の各裁判史はありましたが、集団訴訟全般について原告側弁護士が記した書籍は初めてとなります。
私がかかわった集団訴訟としては、薬害エイズ訴訟、ハンセン病違憲国賠訴訟、薬害肝炎訴訟、宗教法人法の華訴訟、預貯金過誤払訴訟などが上げられます。
特に薬害肝炎訴訟では、九州弁護団事務局長として2002年の弁護団立ち上げから2007年の政府の政治決断による全面解決まで凝縮した5年間を過ごしました(なお薬害肝炎は、薬害肝炎救済法が2009年1月に5年の時限立法として成立し、その後2回延長されて被害救済が継続しています)。
これら各集団訴訟の経験、感じたエッセンスを残しておく意義もあるのではないかと思ったのが、企画の出発点でした。
一方で、自分の体験だけにとどまる狭い内容にはしたくなく普遍性をもった記述を目指しました。実際薬害肝炎九州弁護団の事務局長として活動するにあたり、過去の薬害の裁判史は折にふれて読み込み、自分の活動のヒントにしていました。そのため、サリドマイド、スモン、薬害エイズ、薬害ヤコブ、水俣、じん肺などの裁判史、参考文献、論文についても改めて目を通しました。
書き始めてみると大変でなかなか前に進みませんでしたが、日本評論社の編集部Tさんにも励まされつつ何とか書き終えることができました。
弁護団・原告団運営に支援・国会対策も
内容的には、弁護団運営、原告団運営、集団訴訟の主な法的論点、書式にくわえ、支援の取り組み方、マスコミとの関係、国会対策などにも言及しています。
集団訴訟にかかわる弁護士や将来の法律家を目指す学生さん、支援者の方々、集団訴訟や司法に興味を持つ一般の方にも手にとっていただけると嬉しい限りです。
ちなみに書籍のカバーの右上の図柄は、原告・弁護団だけではなく、支援者、学生、マスコミ、議員などたくさんの人々が関わる集団訴訟の特質から、人々が手を繋ぐイメージです。
出版から1か月が経つと、イタイイタイ病弁護団・水俣病弁護団などを歴任された豊田誠弁護士、薬害エイズ・薬害肝炎弁護団などを歴任された鈴木利廣弁護士、薬害スモン弁護団の藤井克己弁護士、同じく薬害スモン弁護団の福島康夫弁護士、薬害肝炎弁護団の浦田秀徳弁護士、そして各弁護団で一緒に活動した各地の弁護士から過分な感想のお手紙やメールを多数頂きました。
過去の集団訴訟の裁判史も丁寧に読み込んだつもりではありましたが、様々な弁護士・原告・支援が関与した集団訴訟全般について書き記すために、「他の原告弁護団に失礼な表現になっていないか」、「思いこみや独りよがりの表現はないか」、「対外的に公表できるラインを踏み外していないか」などとかなり悩みながらの執筆でした。
豊田誠先生ら集団訴訟の諸先輩からの暖かい言葉を頂いて、嬉しいというよりもほっとしているところです。
西日本新聞の書評
その後、西日本新聞においても「集団訴訟実務マニュアル」を取り上げて頂きましたので、一部をご紹介します。
被害者に寄り添いながら常に考えてきた。「被害の回復とは何なのか」。薬害エイズ訴訟やハンセン病違憲国賠訴訟にかかわり、薬害肝炎訴訟では九州弁護団事務局長を務める福岡市の古賀克重弁護士が、国や企業に問題解決を迫る集団訴訟の手法をまとめた集団訴訟実務マニュアルを出版した。四大公害訴訟に始まる日本の過去半世紀にわたる闘いの軌跡をふまえ、集団訴訟の歴史や理念を伝えている。
司法修習時代の1993年、薬害エイズ東京訴訟の法廷を傍聴し、弁護団会議に参加したことが集団訴訟にかかわる出発点になった。解決に導こうとする弁護士の姿に力を感じた・・
・・数々の訴訟を経て、一つの結論にたどり着いた。「被害回復とは、原告自身が被害を理解し、向き合い、あきらめるのではなく乗り越えて、新たな人生を歩んでいく過程だ」と。
金銭的な補償を勝ち取ることが「乗り越える」手段になることもある。仲間のための活動に踏み出すこと、自分の病と向き合って治療を始めることも。「それぞれ形は違っても、前向きに変わっていくことに大きな意味がある。弁護士の役割は、原告が自らの足で歩み出すことに手を差し伸べること」と振り返る。本書では被害の掘り起こしに始まり、訴訟の進め方、支援活動のあり方、過去の集団訴訟の論点や概要などを詳述、古賀弁護士は、「今後を担う若手弁護士や法律家を目指す人、支援者の踏み台となり、新たな軌跡を描いていく一助になれば」と話している(2009年10月3日付け西日本新聞)。