隔離の壁撤去へ
目次
ハンセン病療養所「菊池恵楓園」の隔離の壁
90年続いた国によるハンセン病患者に対する隔離政策。
その象徴である熊本のハンセン病療養所「菊池恵楓園」の隔離の壁が一部撤去されることになりました。なお北側の壁は、歴史的遺産として残される見込みです。
菊池恵楓園の壁は1929年(昭和4年)に設置されました。
園創設当時はなかったにもかかわらず、その後、入所者(患者・元患者)が無断で外出したり、故郷に帰省したりすることが相次いだため、防止するためにコンクリートの高い壁が設置されたのです。
熊本判決の事実認定
国の責任を認めた熊本地裁判決も、外出制限について以下のように事実認定しています。
「新法15条による極めて厳しい外出制限は、すべての入所患者に対し法律上当然課せられているものであり、これに違反した場合の罰則も設けられているのであるから、右規定が存続する以上、外出制限自体が全くなくなるものではない。
外出制限は、運用上徐々に穏やかになっていったが、以下のような事情からもうかがわれるように、まだ昭和30年代ころまでは、厳格な取り扱いも存在した。」
「熊本簡易裁判所は、昭和33年3月28日、菊池恵楓園のある入所者を無断外出の罪(新法28条1号)により科料に処した。これを報じた全患協ニュースによれば、無断外出の期間は約2か月であり、昨年秋農繁期に一時帰省し、家事の手伝いをすませて帰園の途中、当時問題になった脱走患者一斉検束の網に引っ掛かったとのことであるが、この事件だけがなぜ略式起訴にまで至ったのか、その具体的経緯は明らかではない。」
「被告は、無断外出に対する刑罰適用例がこの1件だけであると主張するが、この事件がもたらした抑止的効果には相当なものがあったと推察される」
このように戦後の法律によっても外出制限の規定は残り、実際に刑事罰を受ける患者さえもいました。
「隔離の壁」はこのような終生隔離政策の象徴として、厳然として療養所と社会を隔てていたわけです。
関連情報
・恵楓園の歴史について調べる(菊池恵楓園歴史資料館)
・菊池恵楓園
・隔離の歴史、菊池恵楓園の新資料館公開(西日本新聞)