磯崎新の選んだ「水俣メモリアル」
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水俣メモリアル
水俣湾を見下ろす丘に、戦後最大の公害被害とも言われる水俣病の犠牲者の慰霊碑、「水俣メモリアル」が設置されています。
慰霊碑といっても通常よく見受けられるような碑ではありません。
ステンレスの球が108個置かれ、海との間には透明のガラス板が置かれ、水俣湾を映し出す・・・一度目にしたら忘れることのできない、そんな特徴的なモニュメントです。
磯崎新が選んだメモリアル
水俣メモリアルの存在は知っていましたが、国際コンペが行われたこと、作者がジュセッペ・バローネという無名のイタリアの建築家であること、このコンペの審査を行ったのが磯崎新氏だったことは知りませんでした。
日経新聞に連載された「私の履歴書」が磯崎氏を取り上げており、このエピソードを知ったわけです。
磯崎氏は、丹下健三研究室を出た世界的に著名な建築家。
大分出身ということもあり、福岡・北九州を含め九州各地にも様々な印象的なデザインの建築物を残しています。
その磯崎氏は以下のように述べています。
審査を打診された時、私は二つのことを申し上げた。「モニュメント」という名称をメモリアルと呼びかえてほしい。悲惨な歴史を刻むのに、戦勝を祝い、国威を誇示するために使われる名はふさわしくない。
いま私たちが生きる世界は、祝ったり記念したりすることができない事象であふれている。建築は社会的悲惨や受難の記憶を伝える装置となりえるのか。回答が求められている。
日が暮れて水俣湾に夕闇が迫るころ、108個の円球は夕暮れ沈み行く太陽の光を反射して、水俣病被害者の魂のように揺れて輝きます。
水俣メモリアルは水俣病の悲惨さ、そして今も政治に翻弄され最終解決が見通せない水俣病被害者の受難を我々に伝え続けているようです。
関連情報
・磯崎新さん死去 プリツカー賞受賞の建築家 91歳(日経新聞)
・水俣市立水俣病資料館